感情理論「逃避」

適応がうまくゆかぬとき、その状況から逃れる反応を行なうことがある。失恋の結果、修道院に逃避する者もあるし、世の中が住みにくくて山中に逃避する人もあるし、家庭がいやでバーに逃避するサラリーマンもある。しかし、フロイトが「病気への逃避」と「空想への逃避」を考えたことは、具体的人間心理の解釈に非常に役立った。

戦争中、召集された人のうちには、何の身体的原因もないのに足の立てなくなる人があった。これは召集が解除されて家に帰されると完全に洽ってしまった。彼は軍隊から逃避したかったのだ。そして、病気になることによって逃避したのである。

意識的に病気になったフリをするのは仮病だが、無意識的に自分でも知らずに病気になったのであるから、フランスで半仮病(はんけびょう)と呼んだ人があるが、この種の病気は「逃避」によるものと解釈される。それは「病気への逃避」である。

現実が思うままにならぬとき、空想の世界に逃避することもある。心の中にある願望を空想の世界で満足させる。金持になったと空想し、美しい女性を恋人にしたと想像するのである。空想の世界には不可能はない。「空想への逃避」は欲求不満を解決する。非現実的にであるが。

ときには、他人の空想したものによって、「空想への逃避」を行なうこともある。想像力の優れた人の行なったもの(童話とか小説とか)を読んで、その主人公と同一視することで欲求を満足させることもある。モンテ・クリストは悪者をこらしめ、金持になり、美しい女性と結婚したという願望をみたしてくれる。

逃避の場合には、このように形を加えた欲求の満足がみられるが、つぎにのべるような「反動形成」と「欲求の変形」は、フロイトにとって主要な適応の方法とみなされている。