心の深層(1-2)

人間の精神は大海に浮ぶ氷山にたとえられる。氷山では、海面に姿を出している部分の下に水中にかくれている巨大な部分があるが、これと同様に、人間精神の場合にも、意識されているものの背後に無意識の世界があるというのである。

われわれは日常、自分で考えたり感じたり、行動したりしていることを、自分で感じている。自分で自分がわかっている。この状態を意識とよぶが、長い間精神とは、意識と同じものだと信じられていた。「無意識の精神」などということは「丸い四角」というようなものだと考えられていた。

ところが、前世紀の終りごろから、意識していない精神活動の存在を認めなくてはならぬ事実が、つぎつぎに明らかになってきた。

第一は、ヒステリー反応のような神経症である。

家庭がおもしろくなく、どうしても夫と別れたい婦人があった。しかし、戦前の華族の家庭のこととて、周囲は世間体を考えて離婚させなかった。ついに彼女は激しい頭痛を訴え、立てなくなり、歩くこともできなくなった。ひっきりなしに食べた物を吐いた。彼女はその後、自分の望み通りに離婚することができたが、以後、右の症状は完全に治ってしまった。

この女性は意識して、こんな症状をおこしたのではなかった。仮病を使ったわけではなかった。ただ、心のなかには、病気になって離婚したいという願望がかくされていたと考えられるし、これらの症状は、意識していないのに心の内部でつくられたものと推測される。

第二は二重人格または人格交代の場合である。

Aという人間は世界のうちに一人しかいないし、その独自の性質、すなわちパーソナリティー(人格)をもっている。ところが、このAのパーソナリティーが突然Bという別のパーソナリティーに転換するということがある。

アンセルーブアンという牧師さんは、大工として育てられたが、三十代になる直前に、病気をしてからキリスト教信者になり、さらに巡回説教者になった。頭痛もちで、発作をおこして意識を失うことはあったが、丈夫で、筋力は強かった。彼の性格が真直ぐだということはその地方で評判になっていた。

1887年1月17日、プロヴィデンスロードアイランド州の首都)の銀行から金を引き出し、馬車にのった。これが、彼が後におぼえていた最後の出来事だった。

彼はこの日は家に帰らなかった。以来ふっつりと消息をたったのである。行方不明ということが新聞で公にされ、犯罪事件の犠牲になっだのではないかと考えられ、警察が捜査を行なったが手掛りがなかった。

ところが、3月17日の朝、ペンシルヴァニアのノリスタウンでブラウンと自称する男が目をさまして、ひどく驚き人々を呼んで、一体、自分は今どこにいるのか話してくれといった。この人は、そこに、6週間前に小さい店をかりて文房具、菓子、果物、その他、こまごましたものを買い込んで、ささやかな商売をしていたのであるが、誰の目にも、不自然とも異常ともみえなかった。

彼は自分の名はファンということ、ノリスタウンに1度もきたことがないこと、小売商など少しも知らぬこと、おぼえている最後のことは、プロヴィデンスで銀行から金を引き出したことなどだが、それは、ほんの昨日のように思われるということであった。彼は、そこに来てから2ヵ月もたっているとは、とうてい信じなかった。

その家の人たちは、彼を病気だと考えて医者をよんだ。しかし、プロヴィデンスに電話してみると、彼の言うことに間違いがないという返事があり、やがて甥のハリスがやってきて彼をつれもどした。

ファンは、ふつうの状態にもどってからは失踪中のことを、何一つおぼえていなかった。最初の2週間は、彼を見た人が1人もいなかったから、何をしていたか全くわがらなかった。

ブラウンなる人間として特殊の職業に従事したことは、注目すべき変化である。ファンはそれまで、そんな商売に1度だって関係したことがなかった。ブラウンという人は、隣人たちの話では、無口できちんとしていて、決して変人の所はなかった。彼は、何回かフィラデルフィア仕入れに出かけたし、規則的に教会に行った。そして、1度は祈祷会で演説をしたが、聴衆はよい話だったといっていた。

そのなかで、彼がファンの状態のとき、つまりブラウンになる以前に目撃したことのあった事件について語ったことは、興味あることである。

ファンが、なぜ全く別のブーフウンという人間になってしまったのか。ファンの意識しないものが、その精神の内部にあったと考えないでは解釈できぬであろう。