心の深層(2-2)

ファンが、なぜ全く別のブーフウンという人間になってしまったのか。ファンの意識しないものが、その精神の内部にあったと考えないでは解釈できぬであろう。

第三に無意識の存在を示すものは、催眠状態である。

ファンの例をも少しつづけることにしよう。1890年6月ジェームズはファンに催眠をかけた。ところが、催眠状態に入るとファンは、そのふつうの生活中の事柄を少しも思い出さず、ファンという人のことをきいたことはあるが、知らないといった。ファン夫人をつれてくると、この女の人は見たこともない、という。

これに反して失踪してから2週間の間の出来事を語りノリスタウンのエピソードをこまごまとのべた。彼は、ブラウンになる前とブラウンでなくなってからを思い出そうとしても、思い出せなかった。

「なぜ、私が馬車にのったか知りませんし、どういうようにして、あの店を去ったか、それからどうなったか、わからないんです」と彼はいった。

このような現象は、無意識を仮定しないでは説明ができぬであろう。さらに「後催眠現象」と称せられるものは、無意識の世界の存在を示す。催眠法を用い催眠中の人に「12時がなったら私の所に来て頭を下げる」というような暗示を与えておいて、彼を催眠からさます。催眠中のことであるから暗示されたことは全く記憶していない。しかし、12時がくると彼は、あたかも自分の意志でなく、何物かに駆り立てられるようにその通りの行為をする。このことは意識されぬ原因で行為が生じうることを示すであろう。

第四に夢の中に日常思い出す事の出来ないものが出現することも無意識を想定せしめる。

次は、すでに他の場所で引用した例の要約である。ある人がトカゲに草をやった夢をみた。夢のなかで、この植物はラテン語でアスプレニウム・ルタ・ムラーリスという名だった事を覚えていたが、目を覚ましてみて、無論そんな名には記憶がなかった。調べてみて、この名の植物は実際にあることを知って驚いたが、なぜ夢にこの名が現われたか謎だった。

この夢をみてから16年経った時、友人の家でアルバムをみせて貰うと、そこに押花がはさんであり右の植物があったが、そこに書きそえてある植物の名は彼自身の筆跡だった。やっと彼は記憶を辿ることができた。この友人の妹が彼を訪ねたとき(夢をみたときより2年ほど前)彼女の持っていたアルバムの押花に、植物学者に名を教えて貰ってラテン名を書き加えてやったことがあったのである。

完全に忘れていた事が夢に出てくるとすると、昔の経験は意識されぬままに残っていたと考えるべきであろう。

以上のような事実から、我々は「無意識」というものを仮定し、その性質を明らかにし、さらに、その日常生活への影響を確かめる必要を感ずるであろう。