深層心理学の方法「表出法・投射法」

「了解法」で述べたのべた二つの例では、奇妙なくせの原因、おかしな遊びの動機は心の内部の傾向または緊張であった。この内部の傾向か遊びに表出されていた。そして、外部に現われたものから、この原因を探ったわけである。

心の内部を、外に現われたものから捕えることは、心理学や精神医学では、常に用いられているものである。特に感情を研究する場合の(表出法)ヴントは、我々が感ずる怒りとか恐れ、つまり意識の事実としての感情を、その表出・・・脈が速くなるとか呼吸が荒くなるというような現象によって研究しようとしたものである。ウソ発見器はこのような表出法の利用である。

しかしながらフロイトが精神の内部を表面に現われたもので捕えようとするときの(表出)はヴントの(表出)とは、幾分ちがっている。

第一に、フロイトの場合の表出はその個人特有の表出である。フロイト心理学は、誰にも適用できる法則を見出そうとする一般心理学でなく、個人特有の性質や反応を明らかにするパーソナリティー心理学だからである。

性的習慣に対する不安が奇妙なくせに表出されたり、母をとられたくないという願望がミドリの虫を殺してその一部を食べるという奇妙な行動を生ずるのは、全く個人的なもので、他人にはみられぬことである。

しかし、精神分析がその個人だけの表出を扱うことは、一般性を全く問題にしないのではない。(心の深層のシコリ”コンプレックス”は意識的の行動に現れる)という現象は一般的なものである。もし多くの人々が主張するように精神分析が徹頭徹尾、個別的なものだけを扱うものならば、文学に類したものとはなっても、科学とはなりえないであろう。

第二に、いわゆる表出法では、怒り→怒りの表出の場合にしろ、脅そうとする意図→怒った顔の場合にしろ、原因→結果の関係は単純である。そして、原因としての感情や意図がなくては表出は生じないし、原因があれば必ず、多かれ少なかれ、表出がみられる。

ふと「畜生!」ふというような言葉を発する場合も、こめような感情の表出であろうし、ふと口をすべらして悪口をいう場合、ふと言いまちがいをする場合、ふとやり損う場合、ふと忘れる場合などは、生理的な変化をおこす表出ではないが、同様に解釈できないわけではない。

精神分析で扱う表出は、一般には、もっと複雑なものである。人間の行動、知覚、記憶といったものに、感情の影響が、どう表出されるかということである。

第三に、これまでに心理学で扱われた表出では、原因が当人に意識されている。他人を脅かそうとして、こわい顔の表出をする場合、脅かそうとする意図も、こわい顔も、本人に分かっているし、恐れたときに瞳が大きくなるという場合には、瞳が拡大した結果は意識されぬが、原因としての恐れは意識されている。フロイトは原因が意識されていない場合または、少なくともその瞬間には意識されていない場合をも問題としたのである。

フロイトの意味の表出はその後(投射法)と称せられる、精神内部の探究法を生んだ。これは、はっきりしない形のものを見せて、どんなものに見えるか、ということから感情傾向を掴むとか(ロールシャッハ検査)、子供に遊びを行なわせて、この遊びの仕方から、どんな感情が心の中に隠されているかを知ろうとするとか(プレイ・テクニック)絵をみせて、それについての物語をさせ、これを通じて無意識の動機を探ろうとするものである。

この場合に(投射)というのは、心の内部の傾向か、知覚、判断その他の行動のうちに投げ出され、これらに影響を与えるという意味であって、複雑な表出に他ならない。投射法は一種のテストであって、刺激を与えた結果の反応をみようとするものであるから、その点では夢とか言い間違いとか、神経症の症状とかいった、自然的な反応を扱うフロイトの場合とちがう。しかしフロイトの方法を一種の投射法と考えることも不可能ではなかろう。