深層心理学の方法「病理法」(2-2)

フロイト学派がきわめてまれな例、異常な例を用いて正常の心理現象を解釈していることを、非難する者がある。「病理法」に親しまぬ人たちは、前に述べたミドリの虫を食べた子供モの例のような、極めて稀なものを土台にして心理現象を明らかにしようとすることを意外に感ずるであろう。

しかしながら、稀であるから科学の対象とならないというのは誤りである。実験室で行う知覚の実験は、極めて稀な条件の基にされている。稀なものであっても、否、
稀であるがゆえに純粋に、ある性質を誇張し、最もはっきりした「理想的な」形を示すといえよう。

レヴィンは、その心理学の方法を論じたとき、アリストテレス流の考え方とガリレオ流の考え方を比較した。アリストテレス流の考え方では、実験を一回、二回、三回・・・と繰り返し、いつも同様の結果がみられれば、ここに法則ができる。類似したことが起る回数が多いほど、その法則は確かなものとみなされる。

ガリレオ流の考え方では、何回も繰り返されるということ「頻度」で法則を証明するのでなく、彼の重力の法則の発見の場合に、たった一回、ピサの斜塔から石を落せば十分であったように、純粋の条件のもとで証明を行なうのである。レヴィンが心理学でも後者の考え方を採用すべきだと主張したことは一般に知られている。

純粋な場合は、二つの方法で得られる。一つは「実験」でこれをつくること、も一つは「極限」の場合を取り上げることである。そして、後者こそ病理法であり、精神分析の利用した方法にほかならない。

しかしながら病理法にも、また他の方法と同様に限界がある。異常者の心理には、正常者と程度の違いしかないものもあるが、病気のために全く新らしいものが出現することがある。

極限を示す場合があると同時に、これを越えた場合もある。精神分析学派に多い誤りは、これを混同することである。

病気またぱ病的状態の分類に、二つの種類があることを忘れてはならない。一つはヒステリーのような病気である。それは、普通の人聞にもみられる傾向が誇張されたものである。しばしば「ヒステリーは存在しない、ヒステリ。クな状態があるだけだ。」といわれるのはこのためであり、ヒステリーという概念は、理想概念(Idealbegriff)であって、正確にいえば、誰でも多かれ少なかれヒステリックなのである。

これに対して梅毒による進行麻障という精神病は、普通の人の性質を、ただ誇張しただけのものではない。「あの人間は多かれ少なかれ進行麻痺的だ。」などというのは、全く無意味である。この場合、進行麻痺というのは種類概念(Gattungsbegrff)である。

病理法を「病人の観察」を普通の人に当てはめるものと非難する人、これは精神分析に反対する人に多い。逆に病理法を無制限に使おうとする者、これは精神分析学派に多い。共にこの二つの概念の違いを認識していないのである。