心的因果(3-4)

「バッタの体をしゃぶったり、食べたりすること」からすぐに思い出した事は、福音書にある砂漠でイナゴを食べていたバプティスマのヨハネのことであった。これについて、彼はこうのべている。

「この奇妙な物語は、子供だった私の心に刻みつけられていました。バプティスマのヨハネは、私には限りないエネルギーと力を持っていた人間のように思えました。と言いますのは、私の家には砂漠に一人たっているヨハネの像が、大きな額になっていたのです。こちらを向いていて、身体は裸で筋骨隆々としており、腰の周りだけにライオンの皮帯をしていました。大きな立像で、私には、とてつもなく力強い人間であり、何者にも対抗できぬ闘士と思われたのです」

このような連想をもとにして、フルールノアは次のような解釈をする。それは、バプティスマのヨハネをまねて、強い人間を演じただけだというのである。軍国時代に子供が、台にのって、手を望遠鏡の形にしていたことがあった。三笠艦上の東郷大将をマネたのである。それと同様のもの「後にのべるように、自分を自分が理想とする人物と”同一視”する現象」とみなしうるというのである。子供は、強い人物の話を読んで、自分がこのような人間になったと想像することがあるが、ときに行為にまで現われることがある。

この子供は、バプティスマのヨハネを尊敬して、このマネをして、バッタを食べるといった行為まで行なったのであった。

なぜ、この奇妙な遊びが、夏休みにだけ行なわれたか。彼の告白によると、こうである。子供時代に、彼は臆病で恐がりだった。そして、お母さんにいつも、くっついていた。ほかの人に会うのは、嫌やだった。父も、恐かった。学校の先生にも、恐怖と嫌悪を感じていた。

夏休みは、本当に楽しかった。学校がなく、お母さんと長い間、一緒にいられたからである。ところが、その夏、父がひどい病気にかかった。こんなことは、それまでにないことだった。数週間、彼の母は父の側を離れなかった。彼女は、いつも部屋のなかで、父の看病をしていたので、彼は母の顔さえ、ろくに見られなかった。

父の病気は悲しかったが、せっかくの休みに母をとられたことは、彼をいらいらさせた。たった一人で時間を過すのは、退屈で退屈で、どうにもならなかった。このとき、彼は、バッタ遊びを思いついたのである。